駱駝家ブログ

文字書き杏月と、絵描き渡月のブログ。イベント情報、本の紹介、日記など。

『君が見ていた夢を』に見る那州雪絵の描くバケモノの話

こんにちは。駱駝家の文字書きの方を一応名乗っている杏月です。

ネット古書店駱駝家、開店準備をゆっくりゆっくりですが進めております
現在は当座の商品のスキャニングも終わり、商品説明をぽちぽちと打ち込んでいるところです。

かって勤めていた書店で「杏月さんのPOPは奇妙な暑苦しさがあるね」と店長に苦笑された暑苦しさをなるべく発揮しないように「COOLだ、COOLになれ、杏月」と心のなかで呟きつつ作業しております。


というわけで(どういうわけで)今回も暑苦しく本の紹介をいたします。

 

 

これは知っている方も多い那州雪絵先生の名作『ここはグリーンウッド』の第9巻です。なんでこんな途中の巻を持ち出してきたかと言いますと、今回紹介したいのはこの巻に倂録されている作品『君が見ていた夢を』だからなのですね。

「なすゆきへにはバケモノの出てこない話は描けないんだ!」というのはグリーンウッドの主人公蓮川君のセリフですが、その通り、那州先生の作品にはバケモノの出演率が非常に高いのです。現在連載中の『魔法使いの娘』シリーズなんて、むしろそういうのがメインですし。

そして、那州先生の描かれるバケモノのなかで時々非常に読者の心をえぐってくる存在があります。そういう場合、その存在を形成する『核』が誰しもが持つある感覚である場合が多いのです。

この『君が見ていた夢を』のメインであるバケモノはその典型的な例です。

ざっとあらすじを述べますと主人公拓人とその友人淳也は、幼い頃近所にあった『おまつり山』へ鬼が封印されているという伝説のある祠を探検しに行きました。

祀られていた石に操られるようにして触れてしまった淳也は不気味な突風に襲われて捕まってしまいます。助けようとした拓人は風に飛ばされてしまいました。

その後淳也は引っ越して行きましたが、5年後高校入学を期に2人は再会します。再会を喜ぶ拓人と彼の妹の有生ですが淳也はかってのおとなしくていつも拓人の影に隠れていた少年とはすっかり変わって完璧な優等生へと育ち、拓人を拒絶するようになっていました。

やがてだんだんと淳也の様子がおかしくなっていきます。成績が低下し、奇妙な行動をする淳也の異変の鍵が『おまつり山』で彼を襲った突風にあるのではと、ある事件をきっかけに気づいた拓人は淳也のもとにかけつけます。

――淳也はおまつり山の祠に封印されていたものに取り込まれバケモノとなっていきます。なぜ、同じ状況にいながら拓人はそうはならなかったのか。
簡単に言ってしまえば、心の強さの違いとなるのですが、このお話のメインテーマはそこではありません。

拓人と淳也、そして有生は互いをとても思いあっています。しかし、拓人には淳也の複雑な境遇やもともとの性格から生まれる弱さを理解することはできません。そしてそれは拓人のせいではなくどうしようもないことなのです。

淳也は内心高校生となった今でも、拓人に強いあこがれと思慕を抱いています。しかし、強い拓人にはどうしたって自分の持つバケモノの核となったもの――『孤独』をわかって貰えないということに絶望し、彼を拒絶するしかなかったのです。


拓人の強さによっておまつり山のバケモノから解放された瞬間の淳也の笑顔には絶望と孤独とそれでもなお消えない拓人への想いが見事に描写されており胸を打ちます。
「こんなに好きなのにこんなにわかりあえない」というモノローグとともに物語はラストシーンへと向います。

別の漫画からの引用で恐縮ですが「どんな勇者でも孤独には勝てない、孤独は心をむしばんでいく」という台詞があります。

どんなに思いあう相手でも別の人間である限りその人のことをすべてわかることは不可能です。人はバケモノになってしまわないように個々で自分をむしばむ孤独と戦うしかありません。

最後に顰蹙を覚悟で言ってしまうと『ここはグリーンウッド』にも同じように孤独を核としてバケモノとなりかけていた人がいました。手塚忍先輩です。

しかし、彼は池田光流先輩、そして彼をきっかけに接したた人々のおかげでそうはならずにすみました。光流先輩は彼の孤独に殴り込みをかけてバケモノと化すのを防ぎました。

光流先輩が忍先輩の孤独を完全に理解できたわけではないでしょう。しかし、彼は忍先輩の孤独に寄りそおうとしてくれたのです。

淳也がその後どうなったかは作品内では描写されませんでしたが、拓人と有生はきっと彼の孤独をわからないままでも受け入れ寄り添っていったに違いありません。もう二度とバケモノが彼を飲み込むことはなかったのではと思います。

那州雪絵先生は安易な相互理解へとは逃げずに厳しく人間の孤独を描写しつつ、それでもなお人は寄り添いあうことで生きていけるということも、また見事に描かれています。